2019/11/06 08:00


山を歩いていると、ちょっと脇にそれた所に「獣道(けものみち)」を見つけたりします。

狸とか、うさぎとか、鹿とか、イノシシとか、キツネとか、
何度も何度も、その小路を歩くことで、草が倒れできた道のことです。

そんな、「けものみち」のような回路が、私達人間の脳の中にもできるって知っていますか?

たとえば、毎日通う会社や学校までの道順や、日々繰り返すルーティーン、日課や癖ですね。

たとえば、珈琲を食後に飲むことが習慣になっている人が、飲みたいという欲求からではなく無意識に飲んでしまう行為。飲みたいわけじゃないけど飲むのが当たり前になっているから飲むんですよね。

また、休みの日なのにちょっと考え事をしていたら、無意識に会社へのルートに車を走らせていた。学校への電車に乗ってしまっていた。・・・なんてことありませんか?

私、結構あるんですよね。
だから、最近は「やることメモ」にルートを書いて目で確認しながら動いています。

で、何が言いたいのかというと、人は同じことを何度も言ったり、行動したり、考えたりすると脳の中に「けものみち」ができて、習慣になってしまうっていうこと。

悪口や愚痴や不満という「けものみち」が出来ている人は、無意識に陰で悪口を言い、まわりの人に愚痴り、不満そうにしています。本人に悪気はありません。
だって、無意識に歩いているだけですから。

反対に、感謝や褒めるや楽しいという「けものみち」が出来てる人は、無意識に何事にも感謝をし、まわりの人を褒め、楽しそうにしています。これまた本人に計算はありません。
なぜなら、無意識に歩いているだけですから。

こうやって文字にすると、多くの人が後者を望むと思います。だけど「けものみち」は、長く伸びた草を倒し、何度も通らなければできていきません。

「けものみち」ができるまでは、すごく違和感で、意識しないとできないし、慣れていないから恥ずかしかったり、人の目が気になったりするものですが、「けものみち」が出来てしまうと、呼吸をするようにできるようになります。

困っている人を見たら親切にしよう。
ゴミが道に落ちてたら拾おう。

道徳的にはわかっていても、できない時は「けものみち」ができていないんだな。って思えばいいんです。
そして、1歩づつでいいから、なりたい自分の「けものみち」をつくればいいと思います。
だって、自分の好きな「けものみち」は自分しか作れませんからね。

そして、この「けものみち」を、どれだけ多く作れるか作れないかが、人生を楽しく生きれるかどうかの別れ道だったりするんですよね~。

今日もあなたの幸せを祈っています。